色いろな「距離」

やっぱり、モノゴトには「限界」っていうモノがある

 

確かに、気力で乗り越えることが出来る!こともあるが、1日は24時間しかないし、人間は馬よりも早く走ることは出来ない

また、最近は「コスト」や「責任」という概念があるから、おいそれと今までの流れを変更するのには、色んな意味で熟慮が必要なことが多くなっている

 

だから、人間の歴史は少しづつ「色んなモノゴトを分担すること」で、その全体のバランスを取りながら、みんなでやる!ことで、色んな困難を乗り越えて来た

 

日本における、歴史上の「色んな先人たち」

世界で!エネルギー革命が起きる以前の、ときに「宗教家」で括ることの出来るヒト達

 

例えば、○○大師と呼ばれるヒト達でも、実際は「言葉(例えば、お経など)」で人々を引っ張って行ったのではなく、その時代のイチバンの脅威!である、言うなれば「龍」に喩えられる、河川の整備を手がけたから、後世に名を残している

あるいは、気候に関する、それまで蓄積された「情報」を、一子相伝的に受け継いでいる立場だったから、崇められて来た

 

そして、すでに鎌倉時代には、ほぼ「大和人」という括りの中に、殆どの日本人は組み込まれていた

けれど、それは、京都なり鎌倉なり、そして江戸なりに、権力を集中させる体制が出来上がって行く流れの中で、単一民族と言われる様になっただけである

それは、必ずしも「均一の価値観」に染められていたワケではなく、言葉が通じるという位の、或る面、漠然とした繋がりの中に、取り込まれていたに過ぎない

 

また、「幸せ」というモノが、第一義的に腹を膨らませることだった時代

それを安定させるためには、やはり「農耕」というモノが、イチバン!安心出来るモノであり、貨幣制度が浸透していく中で、土地の広さで「財産」が量られる様になった

 

その土地というモノは、ある程度の「広さ」で所有しなければ、色んな意味で不安定になる

だから、地主と呼ばれる立場が生まれて来た

 

そして、個人で所有するのでは、その世襲のサイクルが短くなってしまい、常に揉めることになる

だから、「家」という制度でそれを継続して行く様にしたのが、日本では、律令制の時代から昭和20年までの、約1,400年間の「日本の風情」

 

けれど、富の集中は、また違った意味の「競争」を生むから、三代までには法律上は「世襲するモノが無くなる」様にしようとしたのが、必ずしもそうは問屋は卸さない...

まだまだ、社会には不安定要素があるし、やっぱり「自分の子だけ」は可愛いから、あの手この手で、自分の資産を子供に残したくなる

 

一方では、必ずしも「土地の広さ≒価値基準」になるという、時代は終わっている

それにも関わらず、日本の租税は「固定資産税&路面価」というモノで、収支バランスを取ろうとし続けている

 

それが東京の土地代が「天文学的な値段」になり、アタマ撃ちになったら、ワケの解らない、金融工学なる「錬金術」に手を出して、それまで積み上げて来た、砂山をチャラにしてしまった

この半年間は、これ幸いと?先送りした「借金の額」を見せないで、まずはバラ捲け!ってやっている

結局、そのツケは利子が付いて、庶民にまわって来る...

 

確かに、ポンプを機能させるためには、呼び水が必要

だけど、色んな意味で「今までの論理」では無い、全く新しいシステムを創らなければならないときに、今までのシステムでモノゴトをやっては、自分たちの首を絞めるだけである

 

「100年間の未曾有の」とかではなく、人類の数千年単位での「理念」の変更を伴う、発想の転換をしなければ活けない刻が、今である

 

取り合えず、「みんなで、それを理解する」

そのためには、最低2つに分かれて、自分を相手に映して観なければ解らない

 

本当の「道」は、たぶん真ん中の何処かにある

綱引きをしながら、そのバランスが何処で取れるか、勝負してみるがイイさ

 

マニフェスト」という言葉だけで、ヒトは幸せにはならない

それは、羅針盤にはなるが、船を動かすのは、結局「ヒトの手」である

 

やる気を起こさせる、背中を見せられなければ、すべては闇である

先人たちは、そんな背中を持っていたから、先達(オピニオン・リーダー)になれたのである...

 

ツ(^o^)シ (^o^)♪ ※ そして、戦う相手は「己自身」である!

 

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