「市(いち)」を考える

「市(いち)」は、軒の下に「巾(はた)」をぶら下げて、ヒトを集めること

だから、そこには、必然的に「ヒトが集まってくる」

 

「町」は、田んぼの横にヒトが棲んでいるということ

そこは、田んぼや畑が主役!?であり、そこに集まるのも必然である

 

「村」は、木が目印であり、一寸(ちょっと)だけ、そこに住んでいること

そこは、やっぱり「木」が主役であり、その下にヒトがいるよ!っていうこと

 

... つまり、「市」は、モノを売り買いする、商業のために存在する?

あるいは、「町」や「村」に住むのは、自然との関連がある!

が、「市」は、まったく「人間社会の勝手な都合」と言えないこともない?

 

だから、必然的に「市」には、人工物が溢れ返る!?

そして、効率の追求ということが行われる...

 

そこの主役は「ヒト」であり、しかも巾(ハタ)を立てたモノが、その「場所」をコントロールする...

こんだけ便利だから、アンタもココに住みなさい!ってやる

 

どんだけ便利だか分からないけど、そこに住まなきゃ、おカネが廻って来ない

あるいは、「町」や「村」に居ては、情報が手にはいらない

だから、都へ行こう!になる

 

 また「巾」は、字や絵が描いてあり、みんなに知らせるモノ

それが無ければ、そのお店に入らなければ、誰もが「何が有るか?」を知ることが出来ない

 

「情報」はまさに、その「巾」である

いま、インターネットにヒトが集まる...

 それは、より遠くまで、かつ瞬時に、その「巾」を観ることが出来る場所だから

 

けれど、それは、ディスプレイ上に見える&スピーカーで聞こえるだけの「ニセの世界」

本当のオリジナルは、そこには無い...

 

「オリジナル」と「コピー」の関係

それを、見極めなければならない...カモ世?

 

ちょっと気になる...

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 NPO)外国人日本語習熟度検定機構

 

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