改めて「情報」について
この世は、まず知らなければ、すべてが始まらまい...
空間的に「すぐ隣りに在ること」でも、それを知らなければ、あるいは自分が理解しようとしなければ、そして自分に関係あることって思わなければ、それは「無いこと」と同じことになる...
その昔、解らないこと、あるいは理解を超えた出来ごとに遭遇した刻、
それは、人智を超えた、何らかの「お化けの仕業(しわざ)」として、
みんな理解していた
その現象を、長老や霊媒師?に「祟りじゃ!」って説明されれば、それでみんな納得していた
だから、その時代、この世には、たくさんの「妖怪」あるいは「怪物」が棲んでいた!?
まして、話し言葉が違えは「それは人間じゃない!」って言い切ることも出来た...だから、どんな非情なことも出来た
そして、この世の「未来」についても、それ実際に知っているヒトは存在しない
ただ、何らかの「可能性の法則」はある
それを見つけたとき、その延長線上に「こんな風なことが起こる!」
あるいは、このことは「10中8、9」、こういう結果になる
...かも知れない!って言えるだけである
ときに、純粋な(≒単純な)「法則」でも、それを理解出来ないとき、あるいは、その事実が自分の既得権を侵すって思うヒトがいたとき、その法則はそれを見付けたヒト諸共(もろとも)に闇に葬り去られることが起こっていた
或る種、今までの人間の歴史は、その繰り返しでもあった
けれど現代は、色んな分野で、色んな法則が生まれ、それを使って、色んな新しい発見や技術が生まれ継承されて、たぶん、100年前よりは、生活(in 先進国で)は豊かな暮らしを営んでいる...
また「命に関わる!」っていうことへの、予防&防御っていう分野でも、それなりの「可能性への研究」が発達したから、まだ日本では、豚ゆらいの新型インフルエンザが「パンデミック(世界的大流行)」っていう状況で、国内に500人超の罹患者がいても、まだ死亡者は出ていない...
それは「日本」という国の、医療という分野での状況であり、
世界では3万人に近づいている 6月13日現在 from CNN.co.jp
そして、死者数は145人にのぼっている
その状況を、他人事と考えるか?DOにかしなきゃ!と思うかで、そのヒトの住んでいる世界は違ってくる!?
また、どちらにせよ、自分の身体がある、その「現場」で出来ること
それ以上のことは出来ないことも、確か
DE! 改めて「情報」
どんな良いモノを創っても、それを利用するヒトがいなければ、宝の持ち腐れになる
それを、理解出来る人間がいなければ、どんな法則も機能はしない
また、そのモノゴトの価値を理解出来るヒトが、なるべく複数いなければ、今の時代は、それを利用することは出来ない
色んな動物、あるいは生物の中で、他の存在の「意図するモノゴト」を理解し、それを意図的に伝達出来る、あるいは「みんなで共有できる」のは、ニンゲンだけである
それは元来、「信じること」と同義語(≒イコール)でもある
確かに、昆虫の「蟻(アリ)&蜂(ハチ)」達は集団生活をするが、それは個々の個体が「意識して」行動しているわけではない
また、オラウータンやチンパンジーなどの霊長類でも、まだまだ「個の認識」性は低い
もしかすると、イルカやシャチ、クジラ達は、人間が理解していない「意志の交換」をしているかも知れないが、いまのトコロ、空気中に存在するモノの中で、特異な存在は「人類」だけである
けれど、この「信じること」というモノゴトは、とてもデリケートなものである
簡単に、足元から崩れ落ちるものである
だから、古くは「家」という、より取り替えの利かない「血」の繋がり、
「お経」や「聖書」「コーラン」等の、何らかの「絶対的なモノ」で護ることになる
あるいは、現代では「法」という、論理の助けを借りなければ、成り立たないモノでもある
現代の「人間の世界」は、多くの「情報」という、写したモノで廻っている
元来「情報」そのものは、オリジナルではなく「偽(ニセ)物」である
だから、それを持った者は、常に「色んな判断」をしなければならない
けれど、色々な「情報源(ソース)」は増え続け、誰を信じるか?ということも含めて、この世は益ます、複雑になっている
「話せば、解かる」
たぶん、面と向かって話せば理解できること、あるいは、現場に居れば誤解が生じないこと
それって、たくさんある
だけど、ひと所にみんなが居ては、息苦しい!?
「社会」が回らない...
ハテサテ、最後の課題は、
如何にして、みんなが共有できる、信じることの出来る「情報」のためのシステムを創るか?ということである
ツ(^o^)シ
ちょっと気になる...
... 猫には出来ない!?