WHY ?

他のヒトに何か「モノゴトを伝える」ために、必要な要素は、まず、

When(何時)、Where(何処で)、Who(誰が)、What(何を)

DO!するか?である

 

「伝言ゲーム」でも、それらを上手く整理して伝えることが出来れば、案外、間違いなく伝えることが出来る

だから、もう少し高度なゲームでは、逆に、これらの要素を切り分けて、有り得ない!構文を作ることが、楽しい場合もある

 

また、それが未来に対してのモノゴトであれば、How(どの様にして)が付いてくる

 

そして、本来は、そのモノゴトの始まりであり、かつ最後の!と言える、本質的な目的の「WHY ≒ 何故?」もあったりする

本当は、これ!がイチバン大切なものだったりする

 

最近は、それに「How Much (幾ら掛かる)を足して、5W2H

その上、「協働」っていう考え方で考えれば、with Whom(誰と一緒に) で、6W2H化?

そうやって、ドンドン色んな要素が増えて行く...

 

色んなモノゴトを報告するときに書くのが「報告書」

その前に、書くのが「計画書」

 

それらの「書類」には、必ず、それを何故やるのか?っていう「目的欄」が付いている

けれど、案外その欄は、トットと読み飛ばされて、いっとう最初に読まれるのは、数字である「予算&決算書」だったりする

それが、イチバン違いが分かりやすいし、俗に言う「客観的」にモノゴトを評価するためには、間違いが無い!ってことになる

 

けれど、そのヒトの立場によって、重要な W or H の要素は違ってくるのが、ヒトの世だったりする

その上、そのモノゴトへの関わり方によっては「WHY?」そのものも変わってくる

 

そうやって、いつの間にか「何故、それをやらなければならないか?」が忘れられて、色んなモノゴトが進められてしまうことになる

言いだしっぺの「思い」が置き去りにされて、より具体的な「箱モノ」が作られ、色んな道路やダムが造られることになる...

 

そして、そういう「モノ」がある程度、全国津々浦々に造られて、ひと通り行き渡ったところで、ニッポンという国は「借金王国」になってしまったことになっている

色んなユートピアを想像させられ、あるいは不安を煽られて、これは必要!って言われて、働かされ造るところまでは良かったけれど、イザ出来てしまえは、それを利用するヒトがいない!っている物件がアチコチにできてしまった...

 

その上、また!あの夢をもう一度、って言って、官僚の口車に乗せられて、返すあてもない「国債」を発行して、モノゴトを推し進めようとしている、現在の我がニッポン国...DO you know?

 

そう言えば、確かに、誰もが若かれし頃、ハマってしまった疑問

「何故、人間は生きているの?」あるいは「何故、生きなければいけないの?」っていう問い掛け

 

それは結構、何らかの困難と出会ったとき、自分なりに、そして周りに問いかけてみたくなる課題だったりする

何も考えること、あるいは「何らかの理由」を必要としないときには、そんな問い掛けは、誰も必要なかったりするし、意識はしない

 

けれど、何らかの壁の前に立った時、それを乗り越えるために、あるいは、そこから逃げるために、何らかの「理由」を必要とすることである...

そんなとき、持ち出されたのが、神や仏であったりした

 

ヒトに、モノゴトを教えることの出来ること

 

それは、評価する側の論理で「段階」を追って評価して、スキルアップしたことが分かり易い、HOW(どのようにして)という技術の分野でしかなく、「何故?」までは教えることは出来ない

今の時代は、運が良ければ、そのスキルアップのための手段を手にする機会は、たくさん有る様になった

特に、大学なんかは必要以上に出来ちゃったから、すでに過当競争の世界になってしまった...

 

スキルばっかで、「何故、それをやるのか?」のはっきりしない世界

もう、神も仏も居ない時代ではあるけれど、「何故?」を問わなくなった世界は、魑魅魍魎の世界と同義語のような気がする〰ッのは、私だけ!?

 

ちょっと気になる

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 アナロ熊 vs 地デジカ

 

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