統一と分散
言葉は、それぞれに、それなりの「概念の規定」がある
あるいは、1つのモノゴトに対して、それの「表現の仕方」もたくさんある
そして、それぞれの立場によっての、言葉遣い&「てにをは」を含めた、言い廻しがある
その上、いまの日本には、1つの言葉の表記方法も、
漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、英語&その他の言語
と色んな「表現の仕方」がある
先ずは、この世を映すために、創り始めた、
この「ほっとあいず・ワールド」
現在、去年から、始まった「全国行脚の旅」を、1つの世界にまとめ様としているが、そんな「日本語の壁」が立ちはだかっている!?
そして、現代の社会の「イチバンの課題」は、
同じ言葉を使っているから、同じ世界に住んでいる!って思っている、お互いの中の「幻想」
本当は、同じ「たった一つの世界」の中で、それぞれの「理解した世界」に住んでいるのが現実
最近はあまり聞かなくなった「説明責任」
だけど、色んなことを、説明するほど難しいことはない ...べザ?
「自分だけ」は、感性(言葉になる前の段階)で、分かっていること
だけど、それを他のヒトに伝える、コミュニケートするためには、一度自分の中で「言葉」に置き換えて、それを相手が解る言葉に、もう一度置き換える
案外、そうやって最低2回のコピーが必要だから、それを理解し合うのは難しい
その前に!それぞれのヒトが色んなことを分っている心算(つもり)で、本当は、理解はしていないことが多いこと
そして、そのもっと前に、まだまだ、多くのニンゲンの「ココロ」が、地動説の中にある!?ということ
やっぱり、自分を中心にして、この世は廻っている... のカモ!?
だから、何らかの「一つの尺度」を造り、それに沿って「色んな序列」を造れば、そのヒトには分かり易いし、自分を中心に置ければ、そのヒトにとっては、その世界は「生き易い」
そして、何か根本的なことを決定することは他人任せにしておいて、自分はその通りにやっただけ!って言えば、相当、酷い惨いことでも出来てしまうのが、ニンゲンだったりする
そうやって、色んなモンスターは造られて来た...